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グリーフケアについて考えるの集い

昨日は「なせば成るプロジェクト」の第一回開催!9名もの方々がお越しになってくれました。やっぱり色々な視点からみていくと大変勉強になる。昨日は看護師の方が多かったので看護の視点からみる、看取り、グリーフケアの話が多かったです。よく話を聞いて、よく観察することが大切なんだなと感じた。亡くなっていく本人がどう思っているのか、遺族はしっかりと現状を把握しているのか。うーん、とても勉強になった。そして、自分もそうだが、限られた時間の中でより話をしていくには要点をまとめて話すことがすごく重要だと感じた。日本人って(日本人に限らないかも)良くも悪くものんきなんだと心から思った。自分の死後や家族の死後を考えることはいけないことなのでしょうか?ここは私もそうですが看護師の方ももどかしく思っていることもあるそうです。いざその時が来て、慌ててバタバタとする。やっぱり段取りとか準備って本当に大切ですね。そして、一人でなんでもやろうとしないこと。私一人にできることなんて限られています。できないことだらけだが、相手のことを忘れないで、時々思い出して一言でも連絡してみたなら、それはきっと嬉しいことなんだと思う。難しいことばかり考えずに身近に簡単にできることでも、十分な効果があるように感じた。とにかく、有意義な時間でした。お越しくださった皆さん、ありがとうございました!今後も同じ課題を持つもの同士、協力し合っていきましょう!次回のことも近々お知らせしますね。

生きるということ

お通夜に参詣することは昨日が久しぶりでした。ほとんどが儀式を執行する人として行くので。いつもは背を向けている景色を前から見ることはある意味新鮮だったりする。ところで死とはなんだろう。仏教では、「生死一如」と教える。生まれ生きていくことと命終わり死んでいくことは一つの紙切れには必ず表と裏があるように表裏一体。同じ一つのことなのだと教える。たしかにその通りだと思う。だけど、「生まれたからには必ず人は死ぬんです」なんて言葉では納得できませんね。それはただの事実。ただの事実なのである。人には感情がある。オギャーと生まれてきた赤ん坊。ほとんどの場合、笑顔や感動の涙で迎えられる。それは何故か。可愛いから。そして、これから共に歩んでいくであろう未来を想像し胸を膨らませるからだ。では死はどうだろうか。もう話すこともできない。間も無く顔も見れなくなる。そして、これまであったたくさんの思い出が込み上がってくる。だから悲しい。たくさんのご恩や苦楽を共にしてきたから悲しいのだ。寂しいのだ。でもここで一つだけ注意しなければならない。それは悲しみは悪ではないということ。大事な人の死は悲しいが事実であって、悪いことではないということ。ここが時々ごちゃ混ぜになるとややこしくなる。死んだ時のことを考えるのは縁起でもないと口を大にして言う人がたくさんいる。本当にそうか?しっかり考え、決めておくからこそ安心して死に臨めることの方がわたしは多いと思う。亡くなった時のことを考えて亡くなる人がいたら、ほとんどみんな亡くなっています。死を考えるとは。どんなお別れにするのか。葬儀はどんな形?お坊さんは?葬儀屋さんは?お墓はどうする?一度決めたら安心ですよ。息子や孫に迷惑かけたくないなら、ちゃんと決めて「こうしたいんだ」と息子や孫に伝え相談しましょう。そうすればみんな安心。ちゃんとお別れに臨めますよ。そんなことも伝えなくてはならないこととして、一年やってきたがどれだけ伝わったのだろう。うちは飲み屋であり寺である。「死んだら読経よろしくね!」なんて言葉が嬉しくもあり寂しくもあるとその言葉を聞くたびに思うけど、ちょっとずつだが、大事な仕事ができているかなと実感できる瞬間である。驕らずにコツコツとやるべきことをやっていこうと思った今である。さ、お店も営業開始。らっしゃいらっしゃーい!

人と人

冬になると、冬の唄を聴く機会が増える。そして冬は空気が澄んでいて、寒さも心地よい清々しさを感じる。そんなせいなのかなんなのか、冬は静かに物思いにふけたい気持ちになることが多い。これから書くことは、30歳の若坊主の寝言。縁ある人を大事にする。身近な人を大事にする。これって当たり前のようだけど、実はすごく難しい。大事な人をお粗末にしてばかりだと思うことが時々あるけど、その度に反省するけど、やっぱりまた傷つけてしまうわけで。決してネガティブではない。これは大事な反省だ。仏教的に言えば懺悔か。私、そんな自分はダメでしょうか?仏さん、うーむ、そんなことはないよ。なんて仏さんの声が聞こえてきそう。反省する心を失ったらその時は本当にダメでしょうね。反省して、ちょっと覚えているから気をつけてみるけど、また忘れて同じようなことして。側から見たら、進歩しねえなあ!なんて言われそうだけど、それだけ自分の欲とか、自我が強いってことなんだなーと思う。でも、時々こうやって自分の現実を見つめて、また今から大事に生きていこうって考え直す時間がけっこう好きだ。これからもよろしく。そんな気持ち、時々思い出せたら良いよね。出逢ってくれてありがとう。素敵な言葉だよね。私と出逢ってくれてありがとう。あなたには出逢わなければよかった人はいますか?恨み辛みをちゃんと自分にも非があったなあって反省できたなら、そんな人は一人もいない。たくさんの人と出会って、別れてを繰り返していくのが人生。生きていくのって、楽しいことばかり期待するけど、実は辛いことの方が多いと思う。だけど、大変な人生、多くの人の支えでここまで生きてきた。中には付き合いの長い人もいれば、喧嘩別れしたりした人、別れた恋人なんてのももちろんいる。色々あったけど、生きていく中でその人が近くにいたからその時が楽しくて、大変なことも乗り越えたりしてきたのが人生。ずっと一緒にいれる人なんていない。一緒にいれることは決して当たり前じゃない。だから、出逢ってくれてありがとうって思うんだよね。終わり悪ければ全て悪くなっちゃうことも話として時々聞くけど、その時はそのひとがいたから歩んでこれた道だってあるのでしょう?それで良いじゃない。表と裏。裏なんて誰だってあるんだ。人は恨まない。憎まない。ありがとうって、感謝するもの。だから、けっして恨まない。人は恨まない。それだけは心に決めている。もしどうしても恨みそうになったら…その時は自分の傲慢さを恥じよう。そして、出逢ってくれてありがとうって感謝しよう。あー、辛気臭。おやすみなさい。

お世話になったなぁ

間も無く、坊さんキッチンの緩やかなような怒涛のような1年が終わろうとしています。「なんとかなったなぁ」というのが率直な想い。経営のこととか、できなかったことをあげればきりがないけど、1年間、坊さんキッチンenも私も生きてこれたのだから、「まあそれで良いじゃないか」という想いでの「なんとかなったなぁ」であります。幸い、店を潰したところで死ぬことはない、という思いが私にはあります。支えてくれる家族、仲間がいるからこそ挑戦できた。先日、お世話になっている、よりき整骨院の金子さんに「一年間何とかなりましたよ」と、ボヤいたら、「うちも毎年それの積み重ねだよ」と。経営って大変…町の皆さんにお世話になって支えられた1年。人との繋がりを大事にする店(寺)にしたいなぁ、と思って開店させたが、全体重を乗せてのしかかるぐらいに支えられた1年でした。人との繋がりが、今までの人生で1番濃かった。私も、多少なりとも誰かの為に何かをしてあげれたと思うけど、やっぱりしてもらうことの方が大きかった。これも若さの特権。それとも人徳?(笑)調子に乗らず、支えてもらったことに感謝をして、いつか自分も支える側の人間になりたい。今日、今年とっってもお世話になった発幸処へっころ谷さんにてランチ後横の棚にあった本を手にしたら、初心にかえるべき、言葉に出会った。「いかに損をしていくか」だって。なんでも損得感情で考えてしまうけど、損得感情に愛情と思いやりはあまりないよね。経営者としてお店を維持していく為に利益をあげることはもちろん大切だけど、時々大事なことを見失いそうな時もある。これも昭和の教訓なのかなあ?そんなこときっとないよね。金は後からついてくるもの。そう信じて1年やってきました。自分のやるべき大事なことを信じてやるだけです。さ、長々と失礼しました。もう少し年内頑張ります。あと1週間生きているつもりだけど何があるかなんか分からないしね。コツコツがコツなんてどっかの坊さんが法語で書いてたなあ。また来年もコツコツコツコツやってやりましょう。お世話になった皆さん、ごひいきにしてくれる常連さん、時々忘れた頃に来てくれるプチ常連さん、お店の看板を不思議そうに眺めているお客さん予備軍、ありがとうございました。皆さん、来年も支えてやってください!