プライド
たった一つのウイルスに世界中が右往左往している。
正直私はこんなことが起きることは全く予想していなかった。考えてもみなかった。
だが、現実として起こった。
わたしはウイルスの専門家でもなければ政治家でもない。もうそこらへんは、自分の考えも持ちつつ納得したり納得できなかったりを繰り返すほかない。意見するのは悪くない。だが、一つ。わたしは絶対に正しいという思いには注意が必要に思う。
間違っちゃったな、悪いことをしたな。
そうしたら謝る。これしかできない。しかし、謝ること一つが歳を重ねると難しくなる。みんな、わたしは正しいの土俵で戦っている。
諸行無常。これは仏教においてとても大事な教えだ。
「またいつもの日常が訪れる日が必ず来ます。それまで皆さん、自粛して耐えましょう」
最近よく聞くフレーズだ。
自粛に対しての意見などは今回は割愛する。
…
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本当に元に戻るのか??
これがわたしの素直な思いだ。
あらゆる物事は変化している。流れ流れ決して留まらない。
ここ数十年のことなど人類の歴史、地球の歴史からみたらほんの一瞬の出来事だろう。
「元の日常に必ず戻ります」この言葉は甚だ疑問だ。
仏教の答えはきっとこうだ.
「日常なんてものは存在しない」
そう。私たちが日常、つまりあたりまえのこと、常識として捉えていたものなど決して存在しない。
変化に対応する。これこそ最も大事なことなのではないのだろうか。
生活の基本は衣食住だ。
服を着る。服の形式は変われど、服を着ること自体は遥か昔から変わっていない。
食べること。やはりこれも遥か昔から飲まず食べずには生きられない。
住む所。獣から身を守る所。虫、細菌、ウイルス。そして雨風日光雷。やはり住むところが必要なのも遥か昔から変わらない。
生きることは衣食住である。これは私個人的な意見かもしれないが間違い無いのではないだろうか。
何をするにも基本は衣食住のうえに成り立つ。衣食住を守ってきたのが人類の歴史とも言えると思う。
スマホ、ゲーム、パソコンはもちろん、
水道、電気、ガス、車、電車、これらは生きていく上での便利なツールであるが、必須項目ではないのだ。
ただ、大変便利である。これらの知恵の結集を批判する気は一切ない。私も考えることができないほどその恩恵にあずかっている。とても便利でありがたい。生まれてこの方、電気はついて当たり前、蛇口をひねれば水も出るしお湯も出る。暑ければクーラー、冬はストーブ。すべて私の中の常識だ。
しかし、私の常識なだけだ。100年前、200年前は常識ではなかった。
わたしたちの常識など全く常ではないのだ。
地球は丸い。地球は青い。これも私たちにとっては常識だ。しかし幼少期のわたしには信じられなかった。ブラジルの人は大変だな。
本当にそう思ったことがある。
話を戻そう。
変化に対応する。
これをどうか心に刻んで忘れないでほしい。
今までは今まででしかない。
「今までこうだったから、こうじゃないと嫌だ、生きていけない。」
こんなことを言っていたら本当に生きていけない時がすぐそこまできている。
今まで当たり前だったことが当たり前ではなくなるのだ。
…
…
今までが異常すぎるほど便利すぎたのではないだろうか。
…
…
生活の基本は衣食住だ。
これが守られれば生きていける。あとは知恵だ。ドクダミ、アロエなど、病気や怪我に効果のある植物を先祖方は発見し、今でいう医療の代わりとしてきた。
衣食住+生きていくための知恵があればそれなりには生きていけるということだろう。
これから私には経験したことのない、俗に言う不況という時代が迫っているのはおそらく間違いない。
諸行無常、当たり前なんてない、
この教えにはこれからを生きていく大切なヒントが大いに隠されているように思う。
常識やプライドを捨てる。
これができるかどうかが、変化に対応していく大切なポイントのように思う。
見方や言い方を変えれば、常識を疑うことだろう。
思ってみれば常識のように指導されてきたことが、じつは間違いだったなんてことはよくあることだ。
どうして?なぜ?の精神は大切だ。当たり前を疑う事にこそ新たな発見がある。
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